遊行寺は踊念仏で知られる一遍上人が開いた時宗の総本山です。藤沢宿は東海道の宿場町と定められる遥か以前から、遊行寺の門前町として栄えてきました。遊行寺坂を下り、藤沢橋の手前で右折し遊行寺の門前道を通って赤い遊行寺橋を渡るのが、旧東海道の道筋です。遊行寺とともに栄えてきた当地の歴史がよくわかります。
藤沢宿を出て東海道を進むと引地川(ひきじがわ)という川を渡ります。現在の橋は引地橋といいますが、かつては薬師橋といいました。この近くの曹洞宗養命寺(そうとうしゅうようめいじ)の木造薬師如来坐像にちなんだ名前だと思われます。養命寺の薬師如来は現在、国指定重要文化財になっています。
引地橋を過ぎると旧東海道は国道1号線に合流します。ここに万治(まんじ)4年(1661年)建立の石の道標があり、『是より右 大山道』と彫られています。横には木造の覆い屋根のついた『相州大山道』の石碑があり、こちらは延宝(えんぽう)4年(1678年)のものです。これらの道標がみな1600年代に建ったということは徳川幕府による街道整備事業が100年以内にはほぼ整っていたことを物語っています。
二ツ家稲荷神社(ふたつやいなりじんじゃ)のところで鎌倉、江の島方面の分かれ道があり、ほどなく茅ヶ崎市に入ると、急に両側に松並木が目立ち始めます。駅近くまで来ると、交差点の左に昔の石垣がそのまま残る茅ヶ崎一里塚があり、茅ヶ崎市の指定史跡になっています。
その先で旧東海道は大きく右に曲がり、『南湖(なんご)の左富士』にさしかかります。江戸から東海道を旅すると、富士山はふつう右側に見えています。ところが左側に見えるところが二箇所あって、その一つがここです。現在でも左側に美しい富士山の姿が眺められる鳥井戸橋(とりいどはし)には「南湖の左富士」の石碑があります。
橋を渡りきると、右手に鶴嶺八幡宮(つるみねはちまんぐう)の赤い鳥居があり、その先の下町屋橋(しもまちやはし)の左手に国指定史跡の旧相模川橋脚があります。旧相模川橋は中世の橋で、建久(けんきゅう)9年(1198年)12月5日の落成供養には源頼朝が臨席して盛大に行われました。ところがその帰途、頼朝は馬から落ち、それがもとで翌年1月に亡くなります。頼朝の馬が暴れて川に入ったために落馬したとも言われ、それ以来相模川下流を馬入川(ばにゅうがわ)と呼ぶようになった、とも伝えられています。相模川はその後流路を変え、江戸時代には橋は架けられることはなく、渡船に戻っていました。
架橋から700年余りが過ぎた大正12年、関東大震災による液状化現象で橋杭6本が水田の中から忽然と姿を現したのが現在の旧相模川橋脚遺跡です。調査によって当時の橋は全長273m、幅8mという大規模な橋だったことがわかりました。歴史的に貴重なだけでなく、地震学にも大きく寄与する旧相模川橋脚遺跡は、現在は春になると池の水面に桜が美しい公園に整備されています。
ここから国道1号に沿って進むと現在の相模川(馬入川)に出ます。大山を右手に眺めながら馬入橋を渡り東西に真っ直ぐに伸びる旧道を進むと間もなく平塚宿跡に到着です。
(道路文化研究所理事長 武部健一 『東海道絵図を歩く』より)
撮影スポット
茅ヶ崎一里塚
鳥井戸橋からの富士山
南湖の左富士之碑
旧相模川橋脚