神奈川宿から保土ヶ谷宿まで、旧東海道は横浜環状1号線という立派な道路に重なっている部分が多くあります。旧東海道をそのまま利用して今の道を作っているからです。
環状1号と離れた後は、国道1号線に沿って京都まで、東海道は続いていきます。昔の人は健脚なら1日に十里、40kmも歩いたそうで、京都まで半月ばかりで行けたそうです。
江戸時代、旅人は基本的に陸路を旅するよう定められ、船(海運)は主に荷物の運搬に使われました。街道とそれを支える宿場を保護するための政策です。旅人が街道を支え、街道が幕府を支えていたわけです。
保土ケ谷税務署そばの金沢横町という交差点に石の道しるべが4基たっていて、「かなさわかまくら道」と彫られています。この辻を左折して道を西南にとれば金沢に、そして鎌倉に達するという意味です。
(道路文化研究所理事長 武部健一 『東海道絵図を歩く』より)
撮影スポット
金沢横町の道標
右から「円海山之道」〔天明3年(1783年)建立〕、「かなさわ、かまくら道」〔天和2年(1682年)建立〕、「杉田道」〔文化11年(1814年)建立〕、「富岡山芋大明神社の道」〔弘化2年(1845年)建立〕。また、3つ目の「杉田道」の道標の正面には、道標としては珍しく「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪(きそう)」の句が刻まれています